福井地方裁判所 昭和47年(わ)58号 判決 1974年12月19日
主文
被告人を懲役四年六月に処する。
未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入する。
押収してある鉞一本及び木製クサビ一個は、被害者株式会社寺下木材(代表者代表取締役寺下惣市)に、毛糸パッチ一足は、同寺島エミ子に、黒色ズボン一本、電子ライター一個、ゴム長靴一足、ビニール青色手袋一足及び腕時計一個は、同Mにそれぞれ還付する。
理由
(罪となる事実)
被告人は、昭和六年四月一九日京都市○○区において、父A、母Bの子として出生し、その後石川県○○郡○○町の祖父Cに引き取られ、高等小学校卒業後は農家の手伝、店員などを転々とし、昭和三五年ごろから自動車運転手として稼動し、昭和三八年四月ごろ、妻Dと結婚して一子Eをもうけたが、この間昭和二三年から同四六年までの間、窃盗、強姦未遂、強姦致傷などの罪を犯し、一〇回にわたり服役し、昭和四六年三月金沢刑務所出所後は、大型ダンプカーの運転手として金沢市内の重機工事及び砂利採取販売業を営む○○組に勤務していたものであるところ、
第一 昭和四〇年九月一四日金沢簡易裁判所において、窃盗罪により第一事実につき懲役五月、第二事実につき懲役五月に、昭和四一年九月二〇日金沢地方裁判所において、窃盗及び暴行罪により懲役一年二月に、昭和四三年一二月二五日富山簡易裁判所において、窃盗、同未遂及び住居侵入罪により懲役二年に各処せられ、そのころ右各刑の執行を受け終ったものであるが、更に常習として、
(一) 昭和四六年四月二三日午前四時三〇分ころ、石川県石川郡野々市町白山町四番地東和織物株式会社女子寮一一号室において、横道弘子所有の男物腕時計一個(時価約一万五、〇〇〇円相当)を、
(二) 同年五月二日午前四時四〇分ころ、同県河北郡七塚町字白尾二の五〇番地水上きよ子方において、同人所有の女物腕時計一個(時価約三、〇〇〇円相当)及び現金約五、〇〇〇円在中のがま口一個を、
(三) 同年八月二日ころの午前三時ころ、福井県坂井郡金津町中川一〇番一二号森川産業株式会社金津工場女子寮階下なでしこの間において、玉森洋子所有の男物腕時計一個(時価約一万一、〇〇〇円相当)を、
(四) 同年一〇月一三日午前一時ころ、石川県松任市西新町オ三二番三号小森健二方において、同人所有の背広上衣、替ズボン、レインコート各一着(時価約一万七、〇〇〇円相当)並びに現金四、〇〇〇円在中の財布一個及び現金三、〇〇〇円在中の財布一個を、
(五) 同月三〇日午前一時ころ、同県能美郡根上町字吉原釜屋イ一七番地北村幸作方において、北村道子所有のスーツ等約八点(時価約一万六、五五〇円相当)を、
(六) 同年一一月五日午前三時ころ、同郡辰口町字徳久レ一四二番地徳田機業業株式会社寄宿舎玄関において、山田由起子所有の婦人靴二足(時価約三、〇〇〇円相当)及び道中清子所有の婦人靴一足(時価約一、七〇〇円相当)を、
(七) 同月二五日午前零時三〇分ころ、福井市西方町一番割一八番地寺島エミ子方玄関前において、同女所有の毛糸婦人用パッチ一枚(時価約一、〇〇〇円相当)を、
(八) 同日午前二時ころ、同市○○町××番地M方において、同人ほか二名所有の普通乗用自動車、ガスライター、手袋など一四点(時価約五一万七、三九五円相当)及び現金約六、四〇〇円を、
(九) 同日午前三時ころ、同市和田中町小柳五四字九六番地株式会社寺下木材の従業員詰所内において、同会社所有の鉞一丁(時価約五、〇〇〇円相当)を、
(十) 同年一二月一日午前三時三〇分ころ、前記(三)記載場所において、玉森洋子所有の寝巻等三点(時価約一、二〇〇円相当)を、
(十一) 同月二日午前三時ころ、同所において、同人所有のパンタロンほか二点(時価約八、〇〇〇円相当)を、
(十二) 同月三日午前零時ころ、富山県西礪波郡福岡町下蓑三八二番地中島ふみ方において、同人所有の現金約四万一、九三〇円を、
(十三) 同月四日午前一時ころ、同県小矢部市後谷一五〇番地の二石動織物株式会社寄宿舎二階廊下において、村上志美子所有のタイガージャー一個(時価約三、〇〇〇円相当)を
それぞれ窃取した。
第二 同年一一月二五日午前三時三〇分ごろ、福井市○○町××番地M方住居に、同人の妻Rを姦淫する目的で、同人方勝手口から前記第一の(九)で窃取した鉞を携えて侵入し、同人方寝室において夫とともに就寝中の右同女を姦淫しようとしたところ、右M(当二九年)が目を覚したため、その逮捕を免れるため、同人を死に至すかも知れないことを予見しながら、あえて所携の前記鉞で同人の顔面及び胸部を狙って数回切りつけたが、同人に鉞を奪われたため、加療約三週間を要する前頭部挫切創、左頸部挫切創、右前腕上部挫切傷を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかった。
第三 同日午前四時二〇分ごろ、福井県○○郡○○町○○○第××号××番地○○織物株式会社女子宿舎○○寮△△の間に、同所で就寝中の女子職員に対し、わいせつ行為をなす目的で、同室西側窓から侵入した。
(証拠の標目)≪省略≫
(弁護人の主張に対する判断)
(一) 弁護人は、判示第二の事実につき、「被告人はRの傍に寝ていた夫Mが目を覚し、その逮捕をまぬがれるため相手をひるませ、そのすきに逃走する目的で同人に対し鉞を投げつけたものに過ぎず、このことから未必的殺意すらを推認することは無理であり、本件は殺人未遂罪に問擬すべきではない」旨主張する。
しかしながら、前掲各証拠を綜合すれば被告人も、捜査段階において鉞を前記Mの顔及び胸に目がけて投げつけたものであり、当り所が悪ければ死ぬかもしれないと思った旨供述していること、事実本件兇器は、総重量一、八二キログラムであって、用法により充分に人を殺傷する能力を有すると認められるばかりでなく、被害者の傷害は頭部頸部という身体の枢要部分に発生していること、又被告人は被害者の身体のみならず、布団及び畳にも、数回鉞を打ち下しており、単に相手をひるませて逃走するためではなく、防禦の程度を超える加害行為に出たと認められることなどの情況を綜合すれば、被告人は本件犯行に際し、未必的殺意を有していたというべきである。よって、この点に関する弁護人の主張は、採用できない。
(二) 次に、弁護人は、「被告人は、本件各犯行当時、精神病に罹患し、幻聴、幻視等の影響により各犯行に及んだものであって、心神喪失か、少くとも心神耗弱の状況にあった」旨主張するので判断する。
(1) 被告人の本件各犯行当時の精神状態につき、鑑定人鳥居方策作成の鑑定書(以下「鳥居鑑定」という。)によれば、被告人は、本件犯行当時接枝分裂病すなわち、精神薄弱の上に精神分裂病を加重した状態にあり、このため、情操や道義的感覚などの高等感情は著しく鈍麻し、理性的抑制も殆んど欠除しており、幻覚、妄想などに支配されて生じた目的観念のみが甚だしく優先する傾向を示し、自己の行為やその結果の意義又は重要性を洞察する能力を欠いていること、したがって、自己の行為を正当に律するのに必要な理非善悪の弁別能力を欠き、いわゆる心神喪失の状態にある旨の記載があり、一方鑑定人中山宏太郎作成の鑑定書(以下「中山鑑定」という。)には、被告人は、犯行時シンナー(副次的にヒロポン)による器質性精神障害及び中毒性幻覚症を有し、性的誘惑的幻覚等に著しく影響されており、理非善悪を弁別しそれに従って行動する能力を著しく障害されていた旨の記載があり、同鑑定人は、当公判廷における同趣旨の供述に付加して、それが少くとも心神耗弱に該当する旨供述している。しかしながら、刑法における責任能力の有無はいうまでもなく法律的規範的判断に属する領域であって、精神医学上又は心理学上の概念ではなく、ときにそれらの専門的知見を判断の資料としつつも、刑法の社会規範的機能の次元から独自に判断されるべき問題であるから、かかる見地より責任能力の有無につき検討を加えることとする。
(2) そこでまず、両鑑定を比較検討すると、鳥居鑑定は、被告人が犯行当時精神分裂病であったとするに対し、中山鑑定はこれを否定しているが、両鑑定は犯行時における幻覚、妄想などの同一現象を前提としつつ、その病理的評価を異にしているわけである。しかしながら、中山鑑定は、鳥居鑑定を参考としながらも、さらに被告人に対し詳細な心理テスト及びセルネース投薬等を実施し、これらによる新たな資料に基づき被告人には分裂病特有の人格荒廃を認め難いとしたうえ、自発性の低下、攻撃性性欲の昂進、なれなれしく厚顔無恥な態度をとる反面、不安を伴う幻覚に対しある程度の病感を有し、その治療を求める態度等より被告人につき器質的精神障害の症状を認定しているのであって、被告人の精神医学的所見に関しては中山鑑定に従うのが相当であると考える。
(3) ところで、中山鑑定によれば、(イ) 被告人は、シンナー吸引による器質的精神障害とシンナー幻覚症に罹患しており、そのため人格変化、性欲、攻撃性の昂進を来し、在来から存した覗き見等に際し、現実を一層自己の欲望にふさわしいものと誤認し、相手の女性の人格を否認し、住居に侵入し、いだずらをするところまで行動をエスカレートさせていること、又夜間の不安な幻覚がその行動への引金の役割を果し、それを行動に移すことによって一時的であれ幻覚の不安を解消する結果をもたらしていたことから、本件各犯行は、犯行時におけるシンナー中毒による人格変化、性欲・攻撃性の昂進・妻との性欲的快楽のなさ、更に夜間の不眠幻覚とそれからの逃避としての徘徊的誘惑的幻覚等に著しく影響されていたものであること、(ロ) しかしながら、被告人のシンナー中毒とその性的行動は密接な関連を持っているが、中毒以前から既に覗き、住居侵入等の傾向を獲得している点などから、被告人の性行動は全面的にシンナー中毒により惹起されているものではないこと、(ハ) 被告人は、犯行時自己の危険性を配慮し犯行を隠し、自己を防衛する能力を有しており、それが罪悪感からではないにしても、刑罰の脅威を十分考慮して行動していることが認められる。又同鑑定人は当公判廷において、右の鑑定に付加して、「被告人の場合、精神障害の程度は、幻覚に基づくものであっても行為の結果及びそれに対する刑罰の脅威を意識していたと考えられる。それは、状況が許せば行動し、許さなければ回避するという心理的選択をなしえたこと、行動に移る場合にも発見されたときにそなえて予め逃走の手段を用意し、発見されても逃走し易い場所を選択して侵入していることからそのように言える。なお、異常性欲そのものは正常者でもしばしばみられる現象である」旨供述している。これによれば、被告人は、器質的精神障害及びシンナー幻覚症に影響されて、本件各犯行に及んだこと、したがってエロチックな幻覚が行動の誘引となったことは認められるけれども、前記症状の結果自己の行為に対する抑制力までもともに失なわれていたものではなく、刑罰の威嚇を充分に知悉し、普通人並みの抑制力を保持していたものといわなければならない。
(4) しかして、≪証拠省略≫によれば、被告人は判示第二の被害者M方に、忍びこんで財物を盗取して屋外に出たのち、同人宅が周囲の人家から離れていて侵入逃走が容易なものと考え、前記Mの妻Rを姦淫する目的で再度侵入を図り、その際、Rの傍に寝ている夫Mが目を覚した場合にそなえて、木工場詰所から鉞を盗み、それを携帯し、かつ、予め窓を開け放ち、逃走口を作っていたというものであり、又≪証拠省略≫を綜合すれば、その余の本件各犯行についても瞬時の衝動に起因して行われたものでなく、犯行を企図し、手袋を用意したり、予め適当な侵入先を物色するなどして、当該目的に適した複雑な行動をとって実行しており、特に行動の面からも、異常な精神状態にあったものとは認め難いところである。さらに、≪証拠省略≫によっても、被告人の記憶は取調当時も良く保たれていて各犯行の模様を比較的詳細に供述していること、したがって、とくに精神の異常を感じさせる言動がなかったことが認められる。
(5) 以上考察したところによれば、およそ、犯罪は、人間が犯罪行為に対する衝動と抑制の心理の均衡が保持されている場合においても、あえて犯罪行為を選択したことに責任非難の根拠をもつというべきであるから、犯罪行為に対する衝動が何らかの病的な心理状態のもとに生起したとしても、同時にそれに対する抑制が病的なものによっても損われず、適当な均衡を保持している限り、責任能力を限定的に考えることは失当であると考える。ことに被告人の如く過去に数回の性犯罪、多数の窃盗前科がある場合においては、本件は、その犯罪傾向の延長線上のものとしての色彩を濃厚に持っているものと理解すべきであり、病的なものによって人格の著しい変容を来しているわけではないからである。したがって、被告人は、犯行当時慢性シンナー中毒性幻覚症に罹患し、それが被告人の行動に影響を与えていたものとしても、行為に対する抑制力までも失われていたものではないから、被告人が行為の理非善悪を弁別し、その弁別に従って行動する能力を多少減弱していたとしても、それを著しく欠いていたものとは、とうてい認め難いところである。よって、被告人の判示各犯行当時心神喪失、少くとも心神耗弱の状況にあった旨の弁護人の主張は採用できない。
(累犯前科)
被告人は、昭和四一年九月二〇日金沢地方裁判所において、窃盗及び暴行罪により懲役一年二月に処せられ、昭和四二年一一月一九日右刑の執行を受け終わり、その後犯した窃盗、同未遂及び住居侵入罪により昭和四三年一二月二五日富山簡易裁判所において、懲役二年に処せられ、昭和四六年四月一七日右刑の執行を受け終ったものであって、右事実は≪証拠省略≫によってこれを認める。
(法令の適用)
被告人の判示各所為中、第一の所為は、包括して盗犯等の防止及び処分に関する法律三条二条、刑法二三五条に、第二の所為中住居侵入の点は、刑法一三〇条昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、殺人未遂の点は、刑法二〇三条、一九九条に、第三の所為は同法一三〇条昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するが、判示第二の住居侵入と殺人未遂は、手段結果の関係にあるので、刑法五四条一項後段により重い殺人未遂の刑で処断することとし、所定刑中判示第二の罪につき有期懲役刑を、判示第三の罪につき懲役刑をそれぞれ選択し、被告人には前記前科があるので以上の各罪につき同法五九条、五六条一項、五七条により判示第一、第二の各罪については同法一四条の範囲内で、いずれも三犯の加重をなし、以上は、同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により同法一四条の制限の範囲内で最も重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役四年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入することとし、押収してある鉞一本、木製クサビ一個、毛糸パッチ、黒色ズボン、電子ライター、ゴム長靴、ビニール青色手袋一足及び腕時計一個は、判示第一の罪の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項により、鉞一本及び木製クサビ一個は、被害者株式会社寺下木材(代表者代表取締役寺下惣市)に、毛糸パッチ一足は、被害者寺下エミ子に、黒色ズボン一本、電子ライター一個、ゴム長靴一足、ビニール青色手袋一足及び腕時計一個は被害者Mにそれぞれ還付することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 橋本享典 裁判官 栗栖康年 裁判官伊藤新一郎は、東京地方裁判所判事補の職務代行中のため、署名押印ができない。裁判長裁判官 橋本享典)